カテゴリー「ちょっと行ってくる」の記事

2017年9月25日 (月曜日)

ちょっと四国へ行ってくる(仮)

何ちゅー名前のコインパーキングだよwww

ブログ向けに書き起こすかもしれないけど(仮)ということで。

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2016年10月18日 (火曜日)

ちょっと船の科学館あたりに行ってくる 2

再び、船の科学館へ。

あれ?戦艦陸奥の主砲がなくなってる!
なんか先月に横須賀へと移設されたということだが・・・

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んで調べてみると、陸奥が造られたのは海軍横須賀工廠なので、里帰りという意味も含まれているんだろうな。
これはこれで良し。

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無造作・・・というわけでもないが、実験船体などが散在する野外展示場。
本館休止の上に季節外れの平日ということもあり閑散としているのはうら寂しいというか逆にいい雰囲気というか。

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五万トン級の船のスクリューはこんな感じ。
知る人ぞ知る世界的スクリューメーカの、ナカシマプロペラからの寄贈ということ。

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何も説明書きがないので、前知識なしでいくと「?」しかないのだけれど、後になって調べてみたら、明治38年、東郷平八郎閣下率いる連合艦隊が対馬沖にて撃破したバルチック艦隊の沈没艦の砲身ということ。

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71歳の笹川会長も入ったという民間世界初の海底ハウス歩号Ⅰ世。

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世界は一家、人類は兄弟!

なんかこの像本館を挟んで二つあるような・・・w

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街の~どこかに~船乗りが~ひとり~♪という文句しか浮かんできません。

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試験的に作られた超電導電磁推進船の動力ユニット。

超電導電磁推進はなにか心が揺さぶられるカッチョ良さがあるよね(私見)

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ということでいい夕方でした。

と、今回も後半投げやり気味に終了(笑

 

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2016年10月17日 (月曜日)

ちょっと船の科学館あたりに行ってくる 1

西暦2016年10月14日金曜日14時3分、私は船の科学館の近傍に立っていた。

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まぁ、半年ぐらい前にも来たわけだけれど再訪したみた。
すると南極観測船・宗谷の移設作業真っ最中だった。

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宗谷は今まで展示されていた向きと真反対になるようでちょっと新鮮。
それ以上に移設作業中の宗谷を見る機会のほうがタイミング的にはるかに貴重だよね。
これはこれでいい時に来た(たまたまだけど)

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ということで今まで宗谷が展示してあった場所は妙な具合に空くわけだけど、ここどうなるんだろう?
船の科学館本館がリニューアル準備としつつ事実上の閉館状態だし、ここに新たに維持費のかかる記念船的なものを置くとは考えにくいのだけど・・・
宗谷でさえ船の科学館休館により維持費捻出が難しくなり保存が危ぶまれていたわけだしなぁ。

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それにしても、何時みてもこの大きさの船で南極まで行ったというのは驚く。
船の大きさもさることながら、日本がアメちゃんにタコなぐりにされ半殺しになった敗戦からわずか10年後に南極観測隊を出したというのも考えてみれば凄いし、宗谷自体が戦前に進水した船だとというのもなんか凄いよね。

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さて、遠くにコンテナ船が見えていたのでいったん船の科学館から離れコンテナふ頭のほうへ来てみました。

ガントリークレーンがコンテナを船からトレーラーに次々と積み替えている。
何気なくみていると何でもない光景だけど、センサーが位置を検知して云々とかでひょいひょい積み替えているわけではなく、クレーンオペレーターの職人芸でやっているんだからこれもまたすごい。

ほー、大したもんだーとしばらく鑑賞していたら、羽田のほうからちょっと音の大きな、シルエットの大きな機体が離陸してきた。
今となっては珍しい4発の機体だな、747?(飛行機そんなに詳しくないのよ)

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というわけで船の科学館にもどります。
前回来たときに見逃してる野外展示物が結構あるしな。

つづく!


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2016年10月13日 (木曜日)

ちょっと豊洲と築地あたりにいってくる 3

勝鬨橋に来ると、なぎら健壱さんの「ラブユー東京スポーツ」のB面の「下町」の歌詞を思い出す。

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話は違うけど、この構図はジャケットを一度見ると何かといろいろ気になりすぎる「勝どき橋からラブアゲイン」の撮影場所だな。

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ということで、ぼちぼち有明にもどります。

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再開発で下町感が薄れたとはいえ、月島のあたりは何となく月島だなぁというような風景がまだまだありますよね。

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そうか~、昭和60年まではここにも木製の橋が架かっていたのか~
東京がガラッと変わったのは関東大震災と東京大空襲とバブル景気の時だっていうからな。

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産業遺産的に昔あった貨物線の遺構がのこしてあります。
昭和末期ぐらいまではここらあたりはバリバリの港湾工業地帯だったもんな。

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ゆりかもめ

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そして、天国への階段

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それじゃー歩き疲れたから新豊洲からゆりかもめに乗ろう。

ということで最後のほうは投げやり気味になって一巻の終わり。ちょん。


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2016年10月12日 (水曜日)

ちょっと豊洲と築地あたりにいってくる 2

さて。

豊洲をあとにしてさらにぶらぶらと築地方面へとカメラ片手に歩く。

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有明通りは首都高10号線の延伸工事真っ最中。
やはりこの辺りの風景はどんどん変わってゆくな。

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晴海埠頭へ渡ると、意外といえば以外にも昭和で時間が止まったような昔の晴海埠頭の雰囲気をよく残している一角も残っていたりする。
しかし、ここも使われている様子はないわけで、遠くない将来には今風ベイエリアなシャレオツ建築物になってしまうのだろうなぁ。(補記:2020年東京五輪の選手村予定地みたいです)

寂しくもあるけれど、流れていくものもまた時代なのであった。

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シャレオツビルの下を抜けて月島へ渡ります。

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んで、勝鬨橋。

うーむ、昭和初期の大規模構造物の重厚感はいい。
白人国家が国力を蓄え世界を我が物顔で陣取り合戦している時代に、亜細亜のはずれの日本人が自国の力でこれを作り上げたというのは大したもんだ。
勝鬨橋ができたわずか60年前には日本は江戸時代だったと考えると、技術と文化の吸収力はすごいよなぁ。

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勝鬨橋の下。

これでもかというリベットの数が戦前のものだということを語っている。

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そして、築地市場。
ってよくわかりませんね(笑
真中へんの川っぺりのよく見るとトラックがとまっているところです。
その向こうには東京タワー、右寄りにある左寄りの茶色っぽいビルが日本を売っている朝日新聞の本社ですね。

2回でまとめようと思ったんですけど、長くなったので続く!

では。

 

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2016年10月11日 (火曜日)

ちょっと豊洲と築地あたりにいってくる 1

2016年10月7日(金曜日)12時35分、私は東京都江東区有明3丁目8−31・東京広域臨海防災公園で空を見上げ、東京にもまだこんなに広い空があるんだよとうそぶいていた。

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それでは今話題の豊洲新市場を(勝手に)視察しに行くことにしよう。
まぁ、わたくしが視察したところで何がどうなるわけでもありませんが。

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ベイエリアの新開地で東京五輪を控え開発のピッチも上がってきたのか、この辺りも建設の動きが目立ってきたような気がする。

そして、この場所も高層マンションが建ってしまえばこんな見晴らしがいい風景は見ることができないわけで、ベイエリアの広い空は今の時代だけの風景ともいえるな。

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おそらくそう遠くない将来にこの空き地にも何かしらの建造物が建つのだろうから、この広い空を見られるのもはるかレインボーブリッジを望むことができるのもあと数年なんだろうなぁ。

 

と、パシャパシャ撮影しつつぶらぶらと豊洲新市場に到達。

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つか、地下空間問題+移転延期でプロジェクトは一時止まっているような印象をもっていたんだけど・・・なんか、工事やってるよね、豊洲w

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まぁこれは周辺整備の付帯工事みたいなもんかもしれないけれど、構内で明らかに作業は続行してる、ペースは落ちてるのかもしれないが。

まぁ、あれですね、やっぱ大人の事情的ななんかそういうことですね(察し)

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つかさー、ここまで作っておいてやめますはないべ?

地下空間式汚染水対策が安全かどうかの判断をきちんとして、安全だったら使えばいいじゃないか。全部盛り土で安全対策します→実は全部盛り土しないで一部は別の対策でした、テヘペロ。という、手続き上の不手際と実際の安全性論議は切り離して判断すべきだ。

どうせ、与党側の足を引っ張りかき回したい勢力がどうやっても危険にしたがってかき回すんだろうけどな~

環境基準の4割のヒ素が出たとかわけわからん事いってなかったっけ?
それ安全ってことじゃん。

そういえば、民主党時代に国会で原口議員がグーグルアースで尖閣付近のことがわかると提言されていましたが、豊洲新市場の地下空間もグーグルマップで確認できますねw

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これ、建屋の部分は掘りこまれていますよねw(というか盛り土されていないというべきか)

グーグルアース万能w

 

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2016年4月26日 (火曜日)

ちょっと穴守稲荷あたりに行ってくる その2

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ということで、アメちゃんに追い出されて移転した穴守稲荷へ。
天空橋からさほど距離はないのでぶらぶらと。

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ドローン禁止、時代だねぇw

穴守稲荷周辺から穴守稲荷駅は、大田区下町感(というのがあるのかは知らないけど)があるいい感じの賑わいがあって悪くない。

さて、穴守稲荷を参拝しぶらぶらと有明方面に歩いていこうかと思ったが少々距離もあるしそれほどたっぷり時間があるわけでも無いので京急で穴守稲荷駅から大森までちょっとショートカット。

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大森のあたりにちょっと残っている旧東海道をぶらぶら

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ところどころに説明板があるけれど、この一里塚の説明板には・・・

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まぁ、諸説いろいろあるということでw



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2016年4月24日 (日曜日)

ちょっと穴守稲荷あたりに行ってくる その1

西暦2016年4月22日金曜日12時30分、私は天空橋駅の何もない駅前を西に向い歩いていた。
突然そこから西に向い歩いていたわけではなく、東京モノレールに乗りここまでやってきた所以の結果である。

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現在の羽田空港の区域に昔、町があったことを示すほぼ唯一の証拠、「羽田の鳥居」を見にやってきた。

それにしても天空橋駅近辺は何もない。
昔も何もないと言えば何もない感じだった気がするが、それでももうちょっと何かしらあった気がするんだけど、羽田空港が沖合拡幅した現在駅前は本当にさっぱりしている。
モノレールも京急も地下駅なので、道路の中央分離帯に忽然と駅出口があるような感じになっている。

そんなわけなので、海老取川をはさんだ向こうの現在の羽田の街の住人以外でわざわざここで降りる人間なんてまずいないんだろうなぁ。
というわけで、平日の12時過ぎにここで下車したのは、わたくしと地元民らしきおじさんの2名だけでした。

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で、この鳥居は何であるかというと、戦前この付近に広がっていた集落の中にあった穴守稲荷の鳥居だったりする。
この鳥居、もともとは拡張前の羽田空港駐車場の真ん中にポツンと残されていたもので、邪魔だから移転しようとすると怪我人が出るなど災いが起こり放置されていたという(どうやら後付けの)都市伝説がささやかれていた。

昨今の羽田沖合展開の際にさすがに邪魔となり撤去の運びとなったのだけど地元民の要望で移築保存となり若干移動しここに安置された、というようなことが手前の説明板に書いてありました。

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んじゃぁ、なんで鳥居だけ残ってんの?ということだけど、前の大戦で日本が敗戦しアメちゃんが来たときに、もともとあった旧軍の飛行場を使うためかなり強引に住人を退かしたから。
その時どういうわけか鳥居だけ取り残された。

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突然48時間以内に退けと言わられたらしいから、住人の方は大変だったと思います。
戦勝国は絶対正義で何やってもいいというわけではありませんが、こんな要求も飲み込みざるを得ない敗戦国の悲しさと屈辱です・・・

だから戦争はと言うつもりは毛頭ありませんが、戦争に負けるということはこういうことなんですね。

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そんな歴史のあるこの辺りですが、多摩川の護岸に腰かけて景色を見ていると(たぶん)地元の人が浜でなんか取ってたり民間機が頻繁に離着陸していたりどっかのおばちゃんが散歩していたりと結構まったりしていてのんびりできます。

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こういう風景は、そもそも漁師町だったという土地の記憶もなんとなく感じさせてくれます。
羽田沖(と言っても埋め立てられて現在の羽田空港の中心部分)はそれこそ江戸前の海ですから、戦前あたりまではこのあたりの漁師町はさぞ活気があったのではないだろうか。

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ここでもうしばらく日向ぼっこしてもいいかな、ってほどのんびりして気分がいい場所だったけどボチボチ天空橋を渡って現在の穴守稲荷へ行くとしよう。

つづく!



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2016年4月 9日 (土曜日)

ちょっと下総国分寺跡に行ってくる

 

西暦2016年4月8日金曜日13時15分、私は市川駅北口3番バス乗り場の前で、いままさに乗車を始めようとする長い列に並ぶべきか否かの決断を迫られてた。

まぁ、乗ったんだけどね。

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市川の細い道を10分ぐらいバスに揺られ、国分角というそれっぽい名前のバス停で降りる。

路線バス自体が数年に一度ぐらいしか乗る機会がない上に、ひょっとしたら生涯最初で最後の利用かもしれないバス会社の運賃支払いシステムがよくわからずに、運賃180円のところを間違いって260円ほど運賃箱に投入してしまった。

硬貨を投入すると運賃箱脇に金額が表示されるのだけれど、入れた金額が表示されるんじゃなくて、残金が表示されるスタイルだった。
あれ?80円入れたのに100円て表示??小銭80円ないよ!と手に持った小銭ジャラジャラしていたら誤って100円を運賃箱に落とし込んでしまった。
本来これで正しい運賃なのだけど、表示された金額が0円(残金表示だから当然なのだが)になっているのでえ?え?え?と焦り、探し出した80円をさらに投入したところで、あっ!これは残金の表示か!と気が付いた。
「あと〇〇円」と分かりやすく表示されているなら勘違いもしなかったんだろうけど、よく見ると但し書き的に、下記の金額をお入れくださいみたいに書いてある。

これは、初見ではよそ者に難しいよ・・・

 

では、グーグルマップ先生で察しを付けているので早速国分寺に向かおう。

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バス停から少しの脇道に、こんな味のあるというか放置の結果味が出てしまったというか、そんな感じの標識は出ている、いま風の郷土散策案内的な標識もあるので全くやる気がないというわけでも無いみたい。

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程なく下総国分寺に到着。
現在の下総国分寺と律令制の下総国分寺跡は丸被りなので大々的な史跡公園のようなものはない。

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そうは言っても、土地を確保できる部分には半ば無理やり史跡としてのスペースを確保している。
とは言え、現国分寺と旧国分寺は丸被りということなので遺構等はほとんど現国分寺の境内にあるので、ここは本当の意味で草っぱらでした・・・w

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こんな縦読みしたらいいのか横読みしたらわからない石碑(横読みが正解)があるので読んでみたら、ここは隣接する旧家の敷地の一部を提供してもらったというようなことが書いてある。
でも、提供していただいたはいいが、この区画に遺構らしきものは全くありませんでした・・・

さて、近くに国分尼寺跡があるのでそっちに行ってみよう。

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ちゃんと、いま風のこういう案内表示もあるので迷うこともない。

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うーむ、平日14時過ぎなのに草野球の子供に占拠されてる・・・、入学式かなんかで休みとかだったのかな。
こういう住宅地7割農地3割ぐらいでフリースペースが少ない土地柄じゃ、ここで野球やるわな(苦笑

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史跡は原則こうなんだけど、目くじら立てるのも野暮と言えば野暮な気もするしな・・・

ま、この国分尼寺公園は住宅地の隙間に頑張って公園として土地を確保しました的雰囲気なところなので、仮に野球小僧に不法占拠されてなくても一回りして「ほぅ」で済んじゃいそうだがw

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現行の下総国分寺に来てみる。
桜は満開を過ぎて散りはじめ、うむ、これはこれでよい。
すごい勢いでスマホで桜を連写する男が、この画像撮影の直前までいました。

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新旧国分寺はここまで被っています。
形態は違えど、この同じ地に1400年ほど寺院が存在してるのもすごい。

数度の火災で律令制下の国分寺から現在の国分寺へつながる歴史の資料は消失しているのでその詳細は不明とのこと。

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阿!

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吽!

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大日如来!

今回この近辺を30分ぐらいうろうろしているうちに、道端に停車して新人に配達区域を教えていると思われる地元郵便配達バイク301号と310号に3回も遭遇。
さすがに3回目はお互い意識している空気が(笑

帰りは市川駅まで歩いたのだけど、ここでも渋滞で信号待ちしているこの2台の横をすり抜けて行くということに。
絶対向こうも、またあいつ来たよ的に思ってるなw

ということで、このあたりで今回の国分寺跡視察は終了、めでたしめでたし。

めでたいか?

 

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2016年2月22日 (月曜日)

ちょっと行ってくるカテの記事ネタはあるけれど

ここ最近、ちょっと行ってくるカテの記事を書いていませんね。

結構ひょっこりと、福岡へ行ったり広島に行ったり下関に行ったり奈良へ行ったりして街中右往左往したり国分寺跡を視察などしているのだけれど、ツイッターでつぶやくとブログ記事にするテンションがその分下がる。

ツイートはリアルで発信する強みがあるけれど(需要があるかどうかは別ですけどw)やっぱり言葉の使い捨て感は拭い切れないかな~

ある程度推敲してブログ記事にする方が、自分的覚え書きとしても役立つし文章を書く楽しみや記事をまとめる面白さもある気がする。

ネタはあるので書こうとは思うのだけれど、ツイートしてテンションが下がっている上に時間が立てばたつほどさらにテンションが低下するのは否めない。

困ったものだ。

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